大原の漁師さんたちとの仕事(1月31日) 日曜日の夜は、先週の火曜日にここに来て以来、初めてぐっすり眠れました。ここで過ごす日々は、私が想像していたよりも人の笑いや温かさに満ちていますが、夜は大変なのです。-建物を建てる音や風が吹く強い音に加え、一晩中、雷のゴロゴロという音が定期的に鳴っているのですが、それが地震(小さいものらしいのですが)の起こる前兆だと教えられたこともあり、とても不安になるのです。一日中、私は自分の本能の思うままに動いています。その本能はたいてい当たっているのですが、最初の一週間は、一人で居たり、寝ようとしている時にはさすがに不安を感じて色々考えました。-私の日本語がだめなこと、うか つに誰かを惑わせたり、どうしたら自分が本当に助けになれるのか、そして、ご好意で使わせていただいているヒーターのガスを本当は自分で調達できればな、などです。このようなことを考えながら、私は夜中、横になっていても目を開けていて、寒さをかみしめています。けれど私は、ヒーターはなくても大丈夫ですし、次の日には走りに行く元気が湧いて、みんなとも毎日、笑顔で会っています。 このような毎日だったので、月曜日の朝は、5半になっても全く目が覚めず、牡鹿半島の漁師さんと働きに行く15分前の7時45分まで自分が眠っていたことには驚きました。漁師さんたちは、私の(滞在中にかかっている)ガス代や電気代を払わせてくれないので、私は彼らにお願いしてなんとか一緒に 働かせてもらうことになっていたのです。昨日は特にやることがなかったのですが、今日はとても忙しい1日で、ありがたいことに、私は寝ずに走りに行きました。(私が今日、山を走りにいった時、あるお年を召した女性が立ち止まって、おんぶしてあげようかと言ってくれました。-私は、この女性が山の中腹にいる外国人の女性に何を思ってこんなことを言って下さったのか全くわかりません!) 私たちは、ここに住んでいる人の多くが乗っている小さなトラックで出発しました。大原ビーチの方に行くのには、実際は5分歩けば着くのですが、ここはとても寒いので地元の方々はどこへ行くにも車で移動します。もう働くことができない漁師さんは、政府から1日12,400円の援助金をもらっています。1 週間に3日働き、1ヶ月に1回、彼らは働いているということを証明するために、写真を撮って東京に送らなければなりません。なので、私たちが別の”地域の活動”に参加するために移動する間のほんの5分間でも、海ではたくさんの“活動”をしていました。今となっては、彼らがこの活動としてすることはほんの少ししかないのですが、今日の朝は、かつてゲームセンターに使われていた木材を拾いました。全体的には、今は瓦礫が取り除かれ、片付けるべきものはほとんどなく、平にならされた未開の地のような状態です。ほとんどが砂利や割れた石、小さなごみの破片で、地面に深く埋め込まれており、ほぼ取り除くのは不可能な状態です。そして、小さな砂利やちり・ほこりで、全てが灰色でした。 私は誰かがコーヒーの話をしていたので、コンビニに歩いて行って全員にごちそうすると、代わりに区長さんに車で送ってもらってしまいました。-彼らは本当にどこにでも車で移動するんです!コーヒーを買いに行ったのは、すっと立ち寄りたいなと思っていたコンビニの店員さんとおしゃべりするいい理由になりました。ブラックコーヒーを手渡すと、サイトウさんはブラックコーヒーが好きではないと言いました。なので、彼と私のカフェオレとを交換したところ、彼は喜んでくれました。-私は、ここの人たちの単刀直入なところが好きです。私たちは、アベさんが炊いてくれた焚き火を囲んでコーヒーを飲み終わると、竹やぶの掃除に取りかかることにしました。 それは、地震が起こるまで漁師さん たちが全くやったことのなかった仕事。しかし、他にすることがないのです。多くの竹は、津波や3月11日以降にこのエリアで発生した台風によって枯れていました。私たちは、竹やぶから竹を引きずり出し、割って、トラックの荷台に積み込みやすいように束ねました。私は、この作業に関して彼らが私に特に期待しているわけではないということは分かっていましたが、座りっぱなしは好きではないのです。そしてこの作業は、私が初めて途方に暮れた力仕事でした。私はすぐに自分で一山組むことができましたが、区長さんは、そこにまた新しい、そしてもっと大きな竹を渡すのです。-私は、竹で自分の目を4回もつついてしまったし、唇もかさかさになってしまったけれど、私たちのチームワークは抜群 でした。ほこりが多く、軍手をしていてもどこへ行っても汚れてしまいましたが、私は何も気にならなかったです。そして、それは体力作りにもなりましたし、そのような男性の仕事があると、少しですが漁師さんたちの士気も上がるのではないかと思います。 タイラさんは、今、私の鼻やほっぺたが赤いので、いかにも私が英国の女の子という感じがすると言います。そして、私がチェーンソーを握って自然に振り向いたとき、彼らは私を一目置いてくれました。-(あまりの自然さに)彼らは、私がチェーンソーを使ったことがないとは思うことができなかったはずです。私は、彼らに割となんでもすることを見せた方が、彼らも私に手伝わせてくれるかもしれないなと思いました。そして、私は、典型的 な大原地区のスタイル-トラックの荷台に立つのです-で、大原センターに戻りました。 男性には、この“コミュニティー活動”を一緒にする仲間がいて、笑っていました。タケちゃんは、瓦礫の中からボーリングの球を見つけたり、アベさんは、ペットボトルで何かを撃つふりをしたりして笑っているのです。彼らには日課があり、ほとんどの時間を友人たちと過ごしています。女性の場合は、そう単純にはいきませんが。 彼らの地域の土地のように、大きな瓦礫は取り除かれています。−彼らは今、家もあるし、服も、食料もあります。それは、些細なことと思う人もいるかもしれませんが、ここまで来るには、砂利を地面にはめ込むようにとっても難しいことだということを心に留めておくべきです 。